この病気になってつくづく思ったのは、
本人の病気の不安や辛さを理解して貰うってのは
無理な話なんだってことがわかりました。
とは言えどもどこまでわかっているのか
それは私の独りヨガリなのかもしれないです。
煩悩だらけの私は軽々しく「わかった」と
いうのは言えないです。
ただ友人知人が心配して色々言って下さいます。
それについては本当に有難いと思ってます。
これは嘘偽りなく120%感謝しています。
でも自分の中に「そうは言ってもこの辛さ貴方には
わからないでしょ」と思うひねくれた自分もいます。
こういう状況になって初めて感じたのは
「他人に寄り添う」って本当に難しいって事です。
なかなか痒いところを掻いてくれる人はそうそうはいない
そう書くと嫌な自分がでてくるので本当に嫌なんですけど、
この感情が抑えられなくって暫くここをサボってました。
言い訳でしかないけどね。
でも逆に「この人は病人の気持ちの寄り添う努力をしている」ってことがどこかに透けて見えるようになりました。
言葉の端々やその時の空気感は視線や間の取り方で
何となくわかってしまうって
折角色々心配して下さってる人に申し訳なく思ってしまいます。病気は心身共に蝕んでいきます。
それまでおもしろおかしくつきあっていた友人に
失望することなんてこれっぽちも感じた事はありませんでした。きっとこんなノンキなお付き合いで一生終わるんだと
信じ切っていましたが、そうは問屋が卸さない。
ある意味神様はいじわるだとも思いました。
でもこれでいいんだと思ってます。
私は宗教も哲学もよくわかりません。
これから状況も自分自身の病状も変化してくるので
「絶対にこうだ」とは言い切れません。
いずれかはこの世からいなくなります。
その時までが私の生き様です。
それまでは生き抜いてまたここでつまんない事を
だらだらと書きますので、またお暇な時に読んで
下さったら嬉しいです。