madamadaganbarusiniaのブログ

シニアのひとりごと

死生観

先日友人のご主人が亡くなったことを書きました。
いざ、その時ってどういう事を思ってその時を迎えるのでしょうか。
以前にも書きましたが、ほとんどが悔いのない人生にしたいと思っていると拝察します。
私のその一人ですが、「悔い」って結局はネガな出来事です。
「あーしておけばよかったなあ」ですよね。
でもいざその時ってそんな事を思い浮かべるのかなあと思うんです。
きっとそれまで楽しかった事を思い出してその瞬間を迎えると私は信じてます。
棺の彼にはこれまで楽しかった事など伝えて「その内にそっちに行くから
またみんな揃ったらBBQしようね、それまで元気でいて下さい。気を付けて行ってらっしゃい」と。


確か兵庫県にお住まいの在宅医療専門の医師が、残念な事に
ご自分が末期がんで亡くなりました。それまで同じ医療の道の先輩でもあるお母さまと
病を抱えながら在宅医療に励んでいらっしゃいました。
本当に頭のさがる思いです。その彼が自分の葬儀に参列して下さった友人知人に
葬儀のあいさつを事前に撮影していてそれを流されていました。


志なかばで旅立つってそれこそ「悔い」のナニモノでもないです。
まだ私はその境遇になってはおりませんので、ここから先は想像でしかないですが
自分の最期はイコール悔いと認識しています。
現世に未練があるとかないとかそんな事はどうでもいいと思ってます。
あの世にだって逢いたい先人は沢山いますので、ある意味それは楽しみにしております。
多分その瞬間は次のステップに私は期待していると思ってます。


これまで人の最期を沢山体験しました。
人の死って最後にできる後世に伝えるメッセージだと思うんです。
自分の身をもって人はこうやって死ぬんだと教えられていると私は思ってます。
確かに無念の死もありますが、人の生き様、死に様って最終的には
自分の身で教えなきゃ何も伝わらない。
そうやって大げさかもしれないけど気の遠くなるような長い年月かけて
何億何兆の人の命で今があると思ってます。
それも営みなのかもしれない

久々に補聴器ネタ

最終的に色々調整をして頂き無事補聴器を購入するに至りました。
てっきり今日の先生のチェックで購入と思って払う気満々で
病院の会計に行ったら診察代の2320円。
その時点で今装着している補聴器を購入と信じ込んでいたので
「えっ、何かの間違い?このまま逃げ帰ろうか?(笑)」とか思ってしまいました(#^.^#)


違ってました。お支払いは病院ではなくって改めて補聴器屋さんでするんですって。
耳鼻科の受付で「私はいつどこでお支払いしたらいいの?」って大焦りでした。
補聴器って安いものではないのでそういう流れって知らずに一人で焦ってました(笑)
何しろ貧乏人なので日頃持ち慣れていないお金を持ち歩いてましたので・・・(^_-)-☆


まあ、ナンダカンダで年明けから病院に通いだしてやっと着地かなと言う感覚です。
おかげで長く耳鼻咽喉科の皆さんに本当にお世話になりました。
通いだしてわかったことがあります。
装着する前はとにかく人が何を話しているのか理解するのが面倒で
「聴く」と言う事を意図的に遠ざけていました。
下手するとちょっとは聴こえるんだけど面倒なので聴こえないふりもしていました。
「私は耳が遠いんだからもっと大きな声で話してよ」とかも思ってました。
わがまま婆さんです(笑)
当然耳鼻咽喉科なので耳が遠い人が多いです。私もその一人でした。
そこのスタッフさんはそういう患者さんばかりなので話をする時は
本当に大声で話しているんですね。装着するようになってよくわかりました。
季節も季節ですがやっぱり病院は暖房もあって空気が乾燥しています。
あんな大声だったら声もきっと枯れますよね。


長いお付き合いでお世話になっていたので、毎回少しばかりですが
のど飴を差し入れしていました。適当に近くのスーパーで普通に売ってるのど飴ですが
一応ダブらないように色んな種類をセレクトしていたつもりです。
単なる飴ですけど「小腹がすいた時にいただいてます」と言われると
何にもおなかの足しにもならないのにうれしいものです(笑)


中村日赤耳鼻咽喉科補聴器外来の先生やスタッフの皆さん、
本当にありがとうございました。
これから少し通院する頻度は減るようですがこれからも宜しくお願いします。


補聴器で
初めてわかる
気遣いが

友人の

ご主人が昨日亡くなりました。ずっと肺が悪くって2月位から入院されていました。
OL時代の同期グループでしたが、それぞれのご主人も巻き込んで
ワイワイBQとかしていた仲間だったのでショックです。
また一人いなくなってしまった・・・・


この頃友人知人がどんどんいなくなって最後の一人になったらどうしようと
思ってしまいます。誰もいなくなるってとてつもなく不安になると思う。
そうなった時自分はどう生きていくんだろうと時々思います。


誰かと一緒にいて楽しかった記憶があるからきっとそう思うんでしょうね。
そういう過去がなければ、「こんなもんか」って逆に一人を
楽しめるんだろうけど、自分には無理かなあと思う。


よく無茶をいうご老人がいますが、きっとそれまで誰かと関わりがあって
それが楽しい過去があったから、その記憶を辿り自分を
認識して欲しくって理不尽を言うんだと思う。


今は比較的冷静に自分をみてると思っているけどこれからはわからない。
でも生き抜くしかない