死生観
先日友人のご主人が亡くなったことを書きました。
いざ、その時ってどういう事を思ってその時を迎えるのでしょうか。
以前にも書きましたが、ほとんどが悔いのない人生にしたいと思っていると拝察します。
私のその一人ですが、「悔い」って結局はネガな出来事です。
「あーしておけばよかったなあ」ですよね。
でもいざその時ってそんな事を思い浮かべるのかなあと思うんです。
きっとそれまで楽しかった事を思い出してその瞬間を迎えると私は信じてます。
棺の彼にはこれまで楽しかった事など伝えて「その内にそっちに行くから
またみんな揃ったらBBQしようね、それまで元気でいて下さい。気を付けて行ってらっしゃい」と。
確か兵庫県にお住まいの在宅医療専門の医師が、残念な事に
ご自分が末期がんで亡くなりました。それまで同じ医療の道の先輩でもあるお母さまと
病を抱えながら在宅医療に励んでいらっしゃいました。
本当に頭のさがる思いです。その彼が自分の葬儀に参列して下さった友人知人に
葬儀のあいさつを事前に撮影していてそれを流されていました。
志なかばで旅立つってそれこそ「悔い」のナニモノでもないです。
まだ私はその境遇になってはおりませんので、ここから先は想像でしかないですが
自分の最期はイコール悔いと認識しています。
現世に未練があるとかないとかそんな事はどうでもいいと思ってます。
あの世にだって逢いたい先人は沢山いますので、ある意味それは楽しみにしております。
多分その瞬間は次のステップに私は期待していると思ってます。
これまで人の最期を沢山体験しました。
人の死って最後にできる後世に伝えるメッセージだと思うんです。
自分の身をもって人はこうやって死ぬんだと教えられていると私は思ってます。
確かに無念の死もありますが、人の生き様、死に様って最終的には
自分の身で教えなきゃ何も伝わらない。
そうやって大げさかもしれないけど気の遠くなるような長い年月かけて
何億何兆の人の命で今があると思ってます。
それも営みなのかもしれない