madamadaganbarusiniaのブログ

シニアのひとりごと

怒りっぽい

最近怒りっぽくなってきたように思う。
これも年齢なのか・・・・(^_-)-☆
そこは年齢を差っ引いても喜怒哀楽の「怒」の割合が
多くなってきた。
思うに喜怒哀楽って「喜」だけではダメだよね。
この4つのバランスだと思う。


おむつ時代で「怒」といえばおなかがすいたかおしっこかうんちで気持ち悪くってか眠い位です。
それがどんどん大きくなると友達にイジメられた、
ペットが死んだ、成績が上がった、
好きな子に振られた又はその逆・・・・で、
どんどん喜怒哀楽のファクターが増えていく。
一定の年齢まではその喜怒哀楽のファクターは
どんどん増えていくけど、例えば定年で現役を退いたら
その喜怒哀楽のファクターになるものは印象が薄くなる。


「喜」については減少する傾向があると思う。
例えば子供を授かると言うような喜びは我々世代にはもうない。それでも年齢の応じた喜びは必ずあります。
でもそれは己が努力しないとゲットできないものかなと思う。
若い頃は勢いもあるし、何よりも体力がある。
ここぞという踏ん張りも効く。
でも我々の世代はその踏ん張りどこじゃなくって、
日頃の小さな踏ん張りとまでではないにしても、
誰にも評価はされないけど小さな小さな努力をして
「喜」を感じるしかないと思ってる。


これは全く私見ですけど、
耳が遠くなると他人が話している内容がもしかすると
自分の悪口なのかもと疑心暗鬼になってしまいがちになる。
ちょっと余談ですが、自分の場合は聴こえない時に、
妹や従妹には「今なら聴こえないから私の悪口言いたい放題だからね」と言ってました(笑)。
で戻って、その延長で他人と接触を持たなくなってしまい、
最終的には孤立、もっと最終的には誰とも話さないから
認知になってしまうという負の連鎖が起こるんだと思う。
情報ってそのほとんどが視覚からの情報です。
確かに見えなくなったらかなり行動に制限がかかります。視覚障害があれば外見でわかるのでわかりやすいけど
聴覚障害って外見ではわからないので、
自分の悪口かどうかとかの疑心暗鬼に陥りやすいと思う。


それが直ちに認知に繋がるとは思ってないけど、
一度負の連鎖にハマるとなかなか抜け出せなくなるんじゃないかなと思う。


またまた脱線してしまったけどもし耳が遠くなったなあと
思われたら、負の連鎖に陥る前に補聴器を考えましょう。
補聴器を装着して喜怒哀楽の特に「喜」のファクターを
増やしましょう。


補聴器装着推進委員会?からのお話でした\(^o^)/

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