友達にもよく言われていましたが、
「可愛いおばあさん、機転がきくおばあさん」という
高評価を得ていました。
今でなら「いいね」です(笑)
他にも山ほどありますので、ついでにご紹介します。
きっと祖母は「いい加減にしときなさい」と
ご立腹と思います。
それは私もいずれそちらに行った時にお小言頂きますので・・・
①
成人式のお振袖を作ってもらって、
当時は結婚式のおよばれは独身女性であればお振袖は
ユニフォームのようでした。
運悪く雨の結婚式ですが、やっぱり着物で行きました。
案の定ハネを上げてしまって、
こりゃあ叱られると思ってましたが、
「あんたが着てハネを上げるのは構わない。
しまい込んでシミをつけるよりマシ」と。
以来何枚か着物にハネを上げたけど
一度も叱られたことはありません。
②
中学位の時8つ下の弟と年末に
テレビのチャンネル争いで取っ組み合いの
喧嘩したのですが、年末忙しいのに
どうやって買ったのか朝起きたら新しいテレビがありました。
父も母も当時はめちゃ忙しい時で帰宅するのは夜遅くでした。
祖母が探したんだと思ってますが、
年下の弟とチャンネル争いで喧嘩しているのが、
本当に情けないと思ってかたっぱしに
電気屋さんをあたったと言ってました。(^_-)-☆
③
ちっとも嫁に行かない私に対してハンストをする祖母(^_-)-☆
近所の遠縁の娘が短大から4年大に編入すると聞いて、
その家まで押しかけて「そんな学校に行かせんでもいい。
うちの孫みたいになるだけ。
あんなのは一族郎党の恥だからあれだけど十分」と
説教に行った。
④
フォーリーブスのター坊が大好き。今でいう「推し活」?
⑤
ケガをした時、何としてでも歩けるようにしてくれと
先生の白衣の裾を掴んで懇願した。
⑥
当時高齢の犬(狆)を飼っていましたが、
高齢のせいかオシッコとかうんちを失敗するように
なっていました。
祖母は後始末こそはもうできなくなっていましたが、
後始末をする私達に「五郎ちゃん(狆の名前)も年だし、
そんなに怒らんといてな。自分が怒られてるようだから}って。
祖母は昔人間なので、ろくに学校も行っていませんでした。
祖母が生まれた時、一応第一子でしたが、
代々女の子しか生まれなくって(10代位は女しか
生まれていなかったときいてますが)、
そんな昔の事で男が生まれて初めて妻として入籍するってことが
まかり通るような時代でした。
偶然か奇跡か何代かぶりに祖母の弟が生まれて、
しかも立て続けに弟が3人もです。
そこで晴れて祖母と曾祖母は入籍を認められたようでした。
いまでは考えられないような時代だったんですね。
当然に「女に教育は必要ない」という封建的な時代で、
祖母の実家もそうでしたので、
裁縫学校に通わされていたようでした。
孫の私がいうのもおかしいけど、祖母は勉強家でした。
新聞一面下にある書籍の紹介欄にある本で、
興味がありそうな本を見つけると、買ってきてくれと
よく頼まれました。
料理の本から園芸に歴史に漫画の少女フレンド、
田中角栄さんが好きだったので、
彼の名前をみつけると内容はさておき読み漁っていました。
その中で、祖母の面白いエピをご紹介したいと思ってます。
①
先日のかきましたがティラミスの事で
こんな美味しいもの食べててもムッソリーニの
イタリアは負ける。
沢庵と味噌汁だけではアメリカに負けるのも当たり前
②
知ってる英語はバナナとB29。でも祖母の中でバナナは
略する時は「BNN」でした。
買い物リストに「BNN」とかいてあって
それがわからない母は買わずに帰ってきて怒られたそうです。
③
自分が小学校の時家庭科の運針の練習で祖母に
みてもらってましたが、やり直しだと何も言わず
勝手に糸を抜くので、どこが悪いのか訊いても
教えてはくれませんでした。
口で説明しておぼわるものではないから、
何度でもしなさい・・・とでした。
④
祖父を早くに亡くしていましたので苦労したと思いますが、
もしお化けになってでてきたらどうするか
訊いたことがあります。
とっつかまえて、こてんぱんに文句をいうと言ってました
⑤
青い目の外人さんは全てが青く見えると信じていました(笑)
⑥
祖母がケガをした時があって、そのリハビリの為に初めて
パンツをはくことになって(祖母の下着は腰巻でしたので)
当初は慣れなくって大変のようでしたが
「パンツをはくようになって世界が変わった」と(笑)
パンツごときで世界って変わるんだ(^_-)-☆
そんな面白い祖母でしたが、おじおば達にしたら
小さい時から世話になっていたので、
頭の上がらない存在のようでした。
おばなんて、実家にくるよりも分家である祖母のところに
よく来て、愚痴やら何やら祖母に聞いてもらっていたようで、
その度に子供に聞かせたくない内容なんでしょうね、
私たち子供はお小遣いを持たされて追い出されていました。
だからおじおば達が来る時はちょっと嬉しかったなあ\(^o^)/
やっと9月・・・それでもまだまだ暑い日が続きます。
「暑さ寒さも彼岸まで」と言いますが、
はたしてこの暑さ落ち着くんでしょうかねえ・・・
とは言っても、いつの間にかセミの合唱から
コオロギに選手交代です。
いつも思うんですけど、彼等に暦は持ち得ていないのに、
更に言うなら気温としてはまだまだ真夏の気温なのに、
しっかり選手交代をているのには本当に驚きです。
よくはわかりませんが、彼等の中には体内時計ならず
体内暦を持っていると私は信じています。
さて秋と言うと栗きんとんです。昔はデパートで並んででも買いたいお菓子でしたが、
最近はそういう事もなくなりました。
思うにそれより食べたいと思うお菓子が出てきたからと
思います。勿論栗きんとんはもう要らないと言う訳ではありませんが、選択肢が増えたという事です。
昔祖母がティラミスを初めて食べてとっても感動してました。
イタリアのお菓子と言ったら「ムッソリーニはこんな
美味しいものを食べてたんだろうか」と言ってました(笑)
それ位世界中には自分達の知らないお菓子や
料理があるから選択肢もどんどん
多くなっているってことなんでしょうね。
少し話は戻りますが、夏と言ったらかき氷です。
かき氷と言ったら赤福のかき氷です。
これだけはどんなに時代が変わってもどんなに並んでいてもひと夏に最低でも3回は食べたいです。
「え?なんで3回なの?」ですよね。1回目は今年のかき氷初物として味わう。2回目以降最後のひとつ手前までは汗かきかき
夏を堪能する為のかき氷です。
最後はゆく夏を惜しみつつ来年もまた来るからねという挨拶の為のかき氷です。
赤福のかき氷についてはそんな夏の思いです。
洋菓子も好きですが、昨今抹茶味が外国人に人気の和菓子です
季節で変化する和菓子はもう和菓子の域は超えて芸術品といってもいいと思ってます。
当初、私は外国人に抹茶とか和菓子の繊細さは理解できないと
思ってましたが、何人であっても文化が違っても、
ヒトの舌の感覚は大きくは違わないんだなとこの頃思いました。
それにしてもどこにいっても外国人だらけ。
脱線だらけの投稿になってしまいました。
これから少しは涼しくなって欲しいわ(^_-)-☆