madamadaganbarusiniaのブログ

シニアのひとりごと

わかって欲しいなんて土台無理な話です

この病気になってつくづく思ったのは、

本人の病気の不安や辛さを理解して貰うってのは

無理な話なんだってことがわかりました。

とは言えどもどこまでわかっているのか

それは私の独りヨガリなのかもしれないです。

煩悩だらけの私は軽々しく「わかった」と

いうのは言えないです。

ただ友人知人が心配して色々言って下さいます。

それについては本当に有難いと思ってます。

これは嘘偽りなく120%感謝しています。

でも自分の中に「そうは言ってもこの辛さ貴方には

わからないでしょ」と思うひねくれた自分もいます。

こういう状況になって初めて感じたのは

「他人に寄り添う」って本当に難しいって事です。

なかなか痒いところを掻いてくれる人はそうそうはいない

そう書くと嫌な自分がでてくるので本当に嫌なんですけど、

この感情が抑えられなくって暫くここをサボってました。

言い訳でしかないけどね。

でも逆に「この人は病人の気持ちの寄り添う努力をしている」ってことがどこかに透けて見えるようになりました。

言葉の端々やその時の空気感は視線や間の取り方で

何となくわかってしまうって

折角色々心配して下さってる人に申し訳なく思ってしまいます。病気は心身共に蝕んでいきます。

それまでおもしろおかしくつきあっていた友人に

失望することなんてこれっぽちも感じた事はありませんでした。きっとこんなノンキなお付き合いで一生終わるんだと

信じ切っていましたが、そうは問屋が卸さない。

ある意味神様はいじわるだとも思いました。

でもこれでいいんだと思ってます。

私は宗教も哲学もよくわかりません。

これから状況も自分自身の病状も変化してくるので

「絶対にこうだ」とは言い切れません。

いずれかはこの世からいなくなります。

その時までが私の生き様です。

それまでは生き抜いてまたここでつまんない事を

だらだらと書きますので、またお暇な時に読んで

下さったら嬉しいです。

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